お初天神ってなに?曽根崎心中とは?(趣味日記)

水商売研究家のタカナミと申します。

今回は仕事とは関係ない記事になります。

お初天神とはなんなのか?

という話しをしていきたいと思います。

露天神社(つゆのてんじんじゃ)のことを

通称お初天神(おはつてんじん)と呼びます。

JR北新地駅から徒歩5分の場所に露天神社があります。お初天神通り商店街が元々は神社の敷地内だったそうです。

お初天神通り商店街の看板、これは一体誰なんやろ?と思った方も少なくないと思います。

この女性はお初(おはつ)という名前で実在した人物です。

女性の名前から取ってお初天神という名称になりました。

【商人の徳兵衛と遊女のお初の物語】

1703年江戸時代

2人は恋人同士で将来は結婚しようと誓い合っていました。

ただし格差があったため徳兵衛側の親戚から猛反対を食らう

自分の妻はお初しかいないと訴えるが、親戚は聞き入れてくれない。

そんな時に徳兵衛はバッタリ出会った親友にお金を貸してほしいとお願いされる。人のいい徳兵衛は断りきれず大金を親友に貸してしまう

後日親友に出会い「金を返せ」というと、「金など借りていないと開き直りました。

開き直るどころか逆ギレして徳兵衛のことを泥棒扱いして嘘を付いて周りに言いふらして町の人々がそれを信じてしまい、徳兵衛がお金を貸した側なのに悪者になってしまいました。

落ち込んだ徳兵衛は、お初が働く天満屋(てんまや)に隠れながらやってきた。

商人にとって一番大切な信用を失い、親戚にも合わせる顔もない。

お初は、どうせ生きて結ばれることがないのなら天国で夫婦になろう、愛をまっとうして一緒に死のうと、徳兵衛に迫る。

追い詰められた自分のために命を断とうというお初の心に、徳兵衛は心中を決心する。

ふたりは店を抜け出し曽根崎の森

(現在の露天神社の敷地内)へと向かう。

そして、天国で夫婦になることを固く誓い合って、愛を守るために心中を果たしたのだった。

(1703年)元禄十六年四月七日

近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)

1653年〜1724年

そしてその物語を脚本家の近松門左衛門が心中の1ヵ月後に歌舞伎の人形劇にて再現したのが

曽根崎心中」という作品です。

庶民の生々しい人間ドラマを描いて現在まで数多くの作品が語り継がれています。

時が経ち320年後の現在の露天神社

320年前の娯楽の中心になっていた歌舞伎が今も残ってたり物語が引き継がれてることがすごいですね。

露天神社は縁結びの祈願に多くの人が訪れてるそうです。

公式のホームページのリンクを貼っておきます。

露天神社(お初天神)

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